逆光の龍さん
おとといアメブロのほうで、嬉しくって!
守本さんには私個人の思いですが、お世話になりっぱなしです(*´艸`*)💦
改めてありがとうございました\( *´ω`* )/!!
本当はアメブロで書いてもいい?記事なのでしょうが、こちらで書きます。
張り付け記事・画像が多いと文字数制限かかりますし………
今回はデカイ画像に張り付け記事を多用しましたので💦
今回はアメブロで書き切れなかったこと(←テンパると記憶がポンポン飛びます……)、そして自分で調べてきた阿蘇神社や健磐龍命を少しご紹介しますね(´ー`A;)🍀
いやあ………守本さんが阿蘇神社をあんなに詳しく、阿蘇神社の復旧に向けた寄付先まで載せてくださって(地元民なのにお恥ずかしい(/´△`\)!)丁寧に書かれておられたのに触発されました❗
まずは龍さんの容姿で思い出したビジョンがありました。
こんな野っ原で朝日に向かい、私(牡丹っちですね)の元から帰っていくビジョンが以前頭に浮かんだことがあったんです。逆光で黒いシルエットしか見えなかったのです。
風景はこんな感じでした。
後ろ姿なので、この画像⇧のほうが雰囲気としては合っている、と思います。
こんなふうに背を向けて鷹揚に片足を上げて、歩きながらズボン?をずり上げて………
もの凄く眩しい朝日に向かって歩くその姿は、確かに守本さんのおっしゃられた容姿、体型でした。
守本さんの記事から抜粋しますね🦉🌿
イケメン神さまでもあるのですが
しゅっとした美形というよりは
骨太でがっしり筋肉質な感じ。
かなり大柄なのですが手足は短め。
ちょっと誰に似ているとも
表現ができないのですが、
堂々とした体躯でありながら
とっても優しく温かくて
包容力と頼もしさが溢れる神様
なんです。
………逆光で見た龍さん………
私、ちゃんと思い出していたんだ………、って。
沙久良さんもこんな風に以前描いてくださったのですが、何せイメージは「長瀬くん」から離れられず………
最初に容姿でお聞きしたとき、「◯◯さん(←私の本名です)の好みだと思いますよ。」と言われて興奮(*゚∀゚)=3してしまい、「ジャニーズでいうと誰に似ていますか?」と聞いたのがイカンでした_:(´ཀ`」 ∠):_
………顔の話なのに早合点した私の好みは細マッチョでしたので、そこから筋肉を付けた想像には限界があり………限界、超えられませんでした(。•́ωก。)…グスン
最初のセッションの時、守護してくださる後ろさんを描くメニューの「心絵」を頼みたかったのですが、あいにく中止中でしたので、仕方なくアドバイスを受けた「神様絵」が描けるようになれば解るかな?と楽観視していました。
「神様絵」が描けなくてもがいている間に視たビジョン………
それまでに何枚か描いていたので、自分の絵からごっつい熊さんのような龍さんにイメージ転換するのには勇気が要りました。
ですから、せっかく唯一視た龍さんの姿なのに否定してしまって………
しかし、今回守本さんがとても格好良く龍さんを文章で描写されていたのに勇気をもらいました………!!
沙久良さんもカッコよく描いてくださったのですが、ボンさんとの前世や後ろさん達とのやり取りについて「悪いものにでも騙されているんじゃ?」と言われた後でしたのでショックが大きくて、立ち直りに時間がかかってしまいました。
ただ、最初のセッションの時に沙久良さんがブログでアップされた「龍さんが私を愛してくれている証拠のハートだらけの絵」(←勝手に命名💦)を思い出して。
この龍さんなら、悪い存在だなんて絶対に寄せ付けない!………たとえ巫女として試されているにしても、私は龍さんを本当に愛しているのだから愛に関してそんな私を裏切ることはしないし、"私の知っている龍さん"ならば必ず救ってくれる、って信じて。
………結局巫女にもなれず、絵も自由に描けないポンコツですが!
この前も「細マッチョ好きでゴメンね(´TωT`)💦」って龍さんに謝ったら、
「………もういい………もう言うな。」
って苦笑いしてですが許してくれました( T∀T)…ごめんなさい…
あ!でも以前載せた「牛島辰熊さん」も大好きでして、ずいぶん前に熊日新聞の特集で奥様との素敵な夫婦関係のエピソード、お子さん達にも深い愛情を注がれていた様子がお子さん達の回想で載っていました。
立川談志師匠と共に私の大好きなご夫婦、憧れの殿方に入っています❗
ああ!そしてですね!
守本さんが『タケイワタツノミコトさまの大ファンでして、、、』と書かれていらして………すごい嬉しくて、嬉しくて………
なんかすごく大きな優しさをいただいた気になっています(*´艸`*)
本当にありがとうございました!!
うわあ!うわあ!。゚゚(*´□`*。)°゚。ってなりました!
★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/asozinnjya.htm
阿蘇神社
こちらには阿蘇神社が源頼朝に社領を寄進されたり、豊臣秀吉からは社領を没収されたり、肥後藩主となった加藤清正や細川氏が再興、保護してくれたことが載っています。
そして、927年の『延喜式』巻第十には「健磐龍命神社」と書かれてあるそうです。
いつから「阿蘇神社」になったのでしょうか?
さらに、鎌倉時代の木練上人の「霊験奇譚」では、竜は阿蘇大明神の化身であり、11面観世音はその本地仏だとあるそうです。
あと健磐龍尊╱阿蘇比め(口羊←変換出来ませんでした💦)の項では、
健磐龍は健々しく岩が立つ状態を神格化した。また、水神・治水の神とみられ、立石信仰の健磐立が健磐龍に変化した。しかし、立つとは自然現象が急に出現するときに使用されるところから阿蘇山が噴火して火山弾が降ってきて立ったところからきたのかもしれない。あるいは噴火が龍のように見えた。阿蘇の信仰は活火山である阿蘇山に対する霊異から生じたものであり、自然神と人格神が合致したといいます。
とあり、健磐龍尊は神武天皇の勅命により山城国宇治から阿蘇に下って鎮西鎮護の大任を果たしたとも書いてありますから、元からあった自然信仰と合わさったのでしょうね。
あと、健磐龍命は長野から来た、というブログも以前見かけましたし(タケミナカタさまの子孫説です)。
健磐龍命は『建五百建命』ともされていて、科野国造だそうです。熊本も長野も馬刺し文化の共通点があります。
阿蘇神社~神話の2300年前から存在する阿蘇山の守り神 | 国内旅行
そしてこちらも抜粋で💦
阿蘇都媛命は、肥国の国守と言う意味のコエクニ(肥国)のタケイハタツの娘ともされ、ユナ(斎餞)としてホホデミに奉られて内后になったともあります。
斎餞と言うのは献上と言う意味です。
タケイハタツはもうその名のとおり健磐龍となりますが、この伝承の場合、その娘が阿蘇都媛となります。
このように、2300年も前の話でして、色々な伝承と説があります。
うーん………謎な阿蘇都媛さまです。例によって龍さん教えてくれない(´ー`A;)
(;ω;`*) そこのところをスッゲェ知りたいのに………
他にも、『阿蘇神社の阿蘇氏は平安時代には宇治姓を称しており、延喜年間に宇治友成が阿蘇大宮司となって移行、阿蘇神社の大宮司を世襲しています。』とあって、先ほどのブログでの健磐龍尊の話と合わせると、大昔から阿蘇と宇治は繋がりがあるようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%BE%BD%E6%9D%91%E5%B8%82)
阿蘇神社 (羽村市) - Wikipedia
由緒がすごいんです!
『創建は601年(推古天皇9年)とされ、933年に平将門が社殿を造営。940年(天慶3年)藤原秀郷が平将門の霊を鎮めるためとして修復した。』
とあってですね、平将門と阿蘇神社は何の関係が!?とワクワクします(*´∀`*)!
将門さん、健磐龍命が視えてたのかな?とか、阿蘇山、ビッグネームだったのかな?とか!
そして、藤原秀郷は将門を討ったことでも知られていますが、"俵藤太"の名で百足退治で有名だそうで。伊勢神宮では秀郷が百足退治に際して龍神から送られた、という伝来のある太刀が奉納されていて宝刀として所蔵してあるそうです。
で、この阿蘇神社、1598年(慶長3年)に徳川家康が参詣したということで、何気に東京に阿蘇神社建ててくれて、将門さんありがとう😆💕✨と言いたくなります!
本殿は神社建築として価値が高く都の指定有形文化財だそうで、境内のシイの巨木も都の天然記念物に指定されているとのことです。
あと島根や鳥取にも阿蘇神社あるそうです!確か岐阜にもあったかな?💦←うろ覚えです………
Star Angel 占星術:『 雄大な阿蘇山 ☆ 神様がおわします』
Star Angel 占星術:『阿蘇の中岳の火口 ☆ 姿が変わる神様』
Star Angel 占星術:『阿蘇神社 ☆ 復興へ向かう一之宮』
こちら地元の占星術師の方が詳しく書いておられるのを貼りました。